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横浜能楽堂へ見学へ行ってきました。
横浜能楽堂の歴史
もともとは、明治8年に東京・上根岸の旧加賀藩主・前田斎泰(なりやす)の隠居所の一角に建てられたものです。
斎泰は能楽愛好者でした。
明治維新前後に衰退していて能・狂言の復興に尽くしており、近代の能楽に大きな足跡をのこしました。
斎泰の死後、周辺家屋を整理することになり、大正8年に東京・染井に移築されました。
昭和40年に解体されるまで、「染井能舞台」として親しまれました。
解体された後は、部材として保管されていましたが、横浜市の運動等により、平成8年に横浜能楽堂としてよみがえりました。
明治8年、大正8年、平成8年と8に縁があり、末広がりでとても縁起がよい建物なのです。
横浜能楽堂の舞台
2.柱
柱は屋根を支えるのと同時に役者の大切な柱です。
能面をかぶると視界が狭くなるので、柱を目印にします。
左前が目付柱(めつけばしら)、右前がワキ柱、左後がシテ柱、右後が笛柱とそれぞれ名前がついています。
3.キザハシ
階段のことです。昔は武士など位が高い人が、褒美与えるときに上る階段だったとのことです。現在は使用していません。
4.白洲(しらす)
白い石です。舞台の下に白い石があるのですが、昔は野外にあったため、太陽の光を反射させて、下から能面を照らす効果がありました。
5.貴人口(きにんぐち)
どのように使っていたか記録がないとのこと。
6.切戸(きりど)
地謡(じうたい、舞台の端にいてうたう人)などの出入り口
7.鏡板
老松が描かれています。神社の境内にある松を模したものという説があります。
脇正面(見所)
8.松
一ノ松、二ノ松、三ノ松とありますが、遠近感を出すために一ノ松が大きく、三ノ松が小さくなっています。
正面がこの世、脇正面があの世をあらわしていることもあります。
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横浜能楽堂の座席
1、2階席あわせて481席あります。
1階の舞台の正面が値段が高い席です。
昔は前の席は平民、後ろのの屋根がついた席に位の高い武士が座っていました。
席数が少ないので2階からみても、舞台はよく見えます。
横浜能楽堂の舞台裏
ブラウン管テレビは舞台の様子を見るために使います。
鏡の間です。
ここで、役者が最後に身なりをととのえて、舞台にでます。
揚幕
左右に一人ずつ人がいて、これから舞台にでていく役者が”おま~く”というと、棒をあげます。
”おま~く”にも言い方があり、優しく言うとふわっと幕があがり、キリっと言うさっと幕があがります。
幕をあげるのは体験できますよ。
横浜能楽堂の2階
太鼓、笛、江戸時代の貴重な衣装がかざってあります。
写真撮影は禁止です。
まとめ
月に1回、無料施設見学を行っています。
事前予約が不要なので、手軽に行くことができます。
楽屋裏まで案内してくれ、ガイド付きで、約1時間の見学です。
平日なのですが、普段見る機会が少ない能楽に触れることできました。
機会があれば、実際の能舞台も見に行ってみたいですね。
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